SAIHATE

共謀罪こと「テロ等準備罪」可決…!

6月15日、歴史的な大転換期になる「テロ等準備罪」新設法が可決され成立された。この重大な法案がいとも簡単に可決された背景には、「テロに対する不安」や、「大メディアの萎縮」など様々な要因があるが、なんと言っても僕ら一人一人の「認識の甘さ」にあるだろう。

 

なにせ、「意識高い系」と言われるエコビレッジSAIHATEの住人でさえ、「共謀罪ってなに?」「テロなんてしないし関係ないよね。」と言っているぐらいなのだ。

 

一般の家庭や地域にいたっては、もはや自分とは全く無関係のことで、テロリストとか暴力団とか危険な人が捕まりやすくなるんで、超賛成!となっていたって不思議じゃない。

 

ここでは共謀罪とはどんなものなのか?を掘り下げていくことは他に任せて(共謀罪について知らない方は、「共謀罪 分かりやすい」 とかで検索してみてね)、これからどんな世界に繋がるのかをイメージした上で、僕らが進むべき道について考えていきたい。

 

刑法の大原則が変わる?

共謀罪が可決された今、「実行行為がなければ犯罪は成立しない」という歴史的に確立された刑法の大原則がくつがえされた事を意味している。共謀罪は、二人以上の人間が犯罪行為について話し合った時点で、犯罪が成立してしまうとし、犯罪をしていなくても捕まってしまうのだ。まだ個人に対しては適用していないが、それも時間の問題である。

 

犯罪行為とは窃盗、暴行、わいせつ行為など多岐に及ぶが、監視社会が進んだ数年後の未来では「まだ犯罪を犯していないが、犯すおそれがある人」は捕まえることができるのだ。

 

ビキニ姿で田植えをしたり、裸でバカな事をしていると、「この人はわいせつ行為を犯すおそれがある」で捕まりかねないという事。

 

犯罪者とは「ぶっ飛んだ人」

犯罪者とは常識や固定概念を外れ、人に迷惑をかけるいわゆる「ぶっ飛んだ人」である。そんな無茶苦茶な人は捕まってくれたら良いと思うのだが、多様化が進みイノベーションが起こりまくってるこの民主主義の希望となるようなシーンを牽引しているような人もまた「ぶっ飛んだ人」なのである。

 

大多数の人とは違う事を考え、実際に行動し、失敗と成功を繰り返し、偉業を成し遂げ、世界や社会を変える人は、犯罪者が歩む道と紙一重という事なのだ。ならば偉人は捕まってしまうのか?

 

だが、ここで分かってほしいのは、「誰が捕まるか?」が問題ではないということ。

 

「ぶっ飛んだ人」自粛モードの怖さ

あるアーティストが、反政治的っぽいからという理由で個展を中止させられた。共謀罪が成立した以上、みんな警戒しているのだろう。しかし、ここに共謀罪の怖さがある。SNSもLINEも監視される時代、ぶっ飛んだ人とは「関わらないようにしよう」という自粛モードが広がってくると、閉塞感がや不信感が高まり、イノベーションが起きづらくなる。そして何より、善意の「ぶっ飛んだ人」がどんどん生きづらくなってしまう。

 

人とはどうやって育まれる?

「人」という生き物はコミュニケーションを通して進化していく。「僕、こんな事思ったんだよ!」「私は、こんな事感じた!」知らない者同士が、自分を開示し、コミュニケーションを試みた時、そこでは宇宙創造と同じようにビックバンが起こり、関係性が生まれ、小さな社会が生まれる。そこに行動が連動すればさらに自他を認知し、進化は促されていく。それは「自分らしさ」を知る大事なプロセスであり、その先にあるエゴを通り越した禅のマスターのような「全てのものとの一体感」へと繋がる。

 

サイハテ村にしかり、ニューエイジやヒッピーにしかり、僕らの最大の武器とは「コミュニケーション」なのだ。人はコミュニケーションにより自己を拡張し、大きな力を持てる。これは僕ら一市民に与えられた最大の力であり、最後の守りだのだ。僕らは共謀罪可決で起こりうる社会的な動きも理解した上で、もう一度コミュニケーションのチカラを再認識しその力の使い方を学ぶ必要がある。

 

僕らができる事とは

ものすごい速さで監視、管理社会に移行している今、このままボケーっとしていると、あっという間に近未来SF映画のような世界に飲み込まれる。あんな自己表現しづらいロボットみたいな世界なんてごめんだ!とみんな思っているけど、スクリーン効果によって、結末にヒーローによって救われるなら、そうなってもアリかな。なんて思わされている自分がいるのではないか?

 

もはや共謀罪可決という歴史的転換期まできている。米国防総省の国家安全保障局(NSA)の契約職員だったエドワード・スノーデンを主人公に描かれた映画「スノーデン」が明かすのは、もはや監視、管理社会は行われているという事実。

 

それを理解した上で、僕らにできることは3つ。ネットでもリアルでも不信感のない関係性を作り続けること。そして、陰謀論だの恐怖や分離思想に囚われず、自身を磨き、質の高いコミュニケーション能力を身に付けること。そして善意でポジティブに「ぶっ飛び続けること」。

 

言わば、「コミュニケーション」を守り高めていく事、その現れとして「コミュニティ」を育てるということ。恐怖や不安ベースの社会とはまったく別のレイヤーから「こんな社会がある」ってロールモデルを作らないと。

 

ほんと、サイハテ村の真価が問われるね!

 

※サイハテ村としてではなく個人的な想いを書き綴ってます。