SAIHATE

将来の事なんて全く決まってなかった学生時代

出身は千葉県。子供時代は今の様にゲーム等しゃれたものは存在せず、虫取りなど外で遊び回る毎日を送ってた。

中学に入り、興味は漫画を描くただそれだけ。

そのせいで勉強そっちのけ。。高校受験の勉強もままならず、結局建築科がある高校に滑り込めた。

卒業が近づくにつれ、自分は将来の事を全く考えてなかった事に気付くもどうする事も出来なかった時、東京にある文化服装学院という学校がある事を知り、すがる様に入学。これが良かった!

洋裁は全くやった事がなかったが、服作りの基礎から叩き込まれ、いろんなものを作れる様に。その他にもデザインの授業は長年絵ばかり描いていたので得意だった。

結局3年通い、様々なコンテストに入選や入賞した事が評価され、卒業時には学院長賞をもらえるまでに成長出来ました。

 

 

修行時代そして羽ばたき

初めての仕事は、メンズブランドの会社。知る人ぞ知るアーストンボラージュ。(長年マイルスデイビスのステージ衣装も手がけていたデザイナーこうしんさとうのブランド)

ここでファッションデザイナーで生きる為のいろはを学んだ。それは決して楽な事ではなかった。いっぱしに仕事が出来なかった事もあり、休みなんてとれない上に終電で帰る毎日。よく言われたのは、ここで1年仕事をすれば、他の会社の3年分したのと同じ位吸収出来ると。。   まさしく辛く厳しい修業時代でした。

 

 

コシノジュンコデザインオフィスに転職

ここではパリコレのパタンナーも兼任しながらのアシスタントデザイナー。バルセロナオリンピックの男子バレーボールユニフォームやジャイアンツの試合用ブルゾンのデザイン等、様々なデザインを担当させてもらい、その後の生き方の幅を広げさせてもらえる経験をしました。

 

 

コシノジュンコオフィスを卒業し、その後アシックスの協力もありデザイン会社を設立。陸上ブランドのデザイン契約を決め、それを元手に東京コレクションに参入した。他にもテレビのセットデザイン&制作や、アジア大会日本陸連のユニフォームなど様々なジャンルのデザインを手がける。

 

 

そしてサイハテへ

3、11後生き方や考え方が一気に変化し、姉夫婦の紹介で北九州にあるウインドファームの中村隆市さんを紹介してもらい、その方の実家に住まわせてもらいました。

そこから福岡の糸島に引っ越し土木を経験。2年後に柳川で左官業、そこを辞めるにあたり行き場を失いどん底を味わったが、友人の紹介で熊本にあるサイハテという村を知る事になる。

今まで様々なもの作りを勉強し経験して来た事が全て活かせる!それが、この村に来た最初の印象でした。

全ての住人が表現者。皆が何かを生み出す力をそれぞれの分野で持っている。そしてみんなが周りを気遣い好きな事をしている。

集団生活でこれはなかなか出来る事ではない。

これから服のブランド立ち上げや、楽しい空間作りなどを進めていく予定。